はじめに
出来るだけポエムを書かないように、普段は不必要な情報を削ぎ落とした文章を書くことを心がけています。
しかし、たまにはポエムっぽいことが書きたくなるもので、今回はちょっとポエムっぽいことを書いてみます。
テーマは「良い人生とは何か」です。
良い人生とは何か
良い人生とは何か、と問うた場合、人によって定義が変わるとは思います。
僕の場合、よい人生とは一言で言うと、「満足な人生」です。
「満足な」という形容詞もいささか抽象的すぎるし、人によって捉え方も違う言葉ではありますが、 自分で自分を「十分頑張った」と評価できることと私は定義しています。
では、十分頑張ったという実感を得るためには何が必要でしょうか。
それは、その時々でベストを尽くす、これに尽きると思うのです。
ベストを尽くすためには、やりたくないことでもやらなければならない時もありますし、一筋縄ではいかないこともあるでしょう。
ベストを尽くさない行動はより楽な行動ではありますが、十分頑張ったという自己評価を得ることが出来ません。
ここで勘違いしてほしくないのは、例えばしんどいから体を休める、鬱になったので休職をするといったことがベストを尽くさないということではないということです。
ベストを尽くすとは言葉の通り、その時々で目標を設定し、目標達成のために最適な行動を取り続けるということです。
例えばこれ以上働くと自分が鬱になってしまう、という自体になった人間が取るべき「十分頑張った」行動は、まず休息を取ることです。
ベストを尽くす、といった場合に目先の目標にとらわれてしまい、大局的な目標の達成から離れてしまうということはよくあることだと思います。
自分のリソースを適切に配分し、目標達成のためにどうやって行動するか、それを考え続ける必要があります。
ただそれさえ出来れば本人が良くない人生を送ってしまったと思うところは無く、あるのは「結果はベストを尽くしたけど、ダメだった。ただ悔いはない」という満足感だけでしょう。
実は私は今まであまり「十分頑張った」という実感を得たことは多くないのですが、そもそもの話として「十分頑張った」という実感を得るのは相当なハードルなのかもしれません。
何かしら障害がある人間は特にハードルが高く、「周りが普通に飛び越えている障害をなぜ私は飛び越えることが出来ないのだろう」という自意識を持ちがちで、それこそがハードルを押し上げています。
ただ、そういうハードルがあっても、目標達成を目指し続ける、それこそが人生における本質的な価値なのではないか、最近私はそう思います。
ちなみにですが、本人がベストを尽くしたと実感しているけど全く成果が伴っていない、という人を私はあまり見たことがなく、 なんだかんだベストを尽くすということは成果に直結するし、基本的に例外はないのではないかと考えています。
今後も私の人生で色々な困難が待ち受けているとは思いますが、その時々で「十分頑張った」行動をし続けることを意識していこうと思います。